【重要】アネモ会員システム全面リニューアルのお知らせ

佐古忠彦監督最新作『生きろ 島田叡-戦中最後の沖縄県知事』島田叡の語りを務めた佐々木蔵之介のコメント到着!

『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』2部作の佐古忠彦監督最新作『生きろ 島田叡―戦中最後の沖縄県知事』が、3月6日(土)沖縄:桜坂劇場にて先行公開、3月20日(土・祝)より東京:ユーロスペース他全国順次公開される。

本作は、沖縄戦終結までの約5か月間、住民のために尽くし、43才で亡くなった島田叡(しまだ・あきら)行政官の生涯を、当時を生きた住民たち、軍や県の関係者、その遺族らからの証言を通じて描く最新ドキュメンタリーだ。

このたび、作品内で島田叡の心中の声を演じた佐々木蔵之介から、作品へのコメントが到着した。
佐古忠彦監督は、(収録の)「直前に摩文仁(まぶに)に行かれたという佐々木さんの、島田のその時々の心情を考えに考え抜いた、すばらしい表現力で人間・島田が浮かび上がりました」と佐々木蔵之介の演技を絶賛している。

目次

佐々木蔵之介 コメント

知事として、そしてひとりの人間として、力と心を尽くし命を繋ぐことを説いた島田叡の言葉に震えました。沖縄の美しい海と空があらためて色濃く深く見えてきます。いつの時代、どの場所でも、誰もが尊い命であることに変わりはなく、天寿を全う出来る世界を願います。


太平洋戦争末期。すでに日本の敗色濃厚だった1945年1月31日、一人の男が沖縄の地を踏んだ。戦中最後の沖縄県知事となった島田叡である。知事着任と同時に島田はさまざまな施策を断行。米軍が沖縄本島に上陸した後は、壕(自然洞窟)を移動しながら行政を続けた。だが、戦況の悪化に伴い、大勢の県民が戦闘に巻き込まれ、日々命を落としていく。
また、島田自身も理不尽極まりない軍部からの要求と、行政官としての住民第一主義という信念の板挟みになり、苦渋の選択を迫られる―。
戦時下の教育により、捕虜になるよりも玉砕こそが美徳とされた時代、島田はしかしそれに抗い、周りの人々に何としても「生きろ」と言い続けていた。
その考え方はどのように育まれてきたのか―。

目次