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ドキュメンタリー映画『なれのはて』尾野真千子、望月優大、石井光太ほか著名人からコメントが到着!―12/18(土)公開

粂田剛監督によるドキュメンタリー映画『なれのはて』(12月18日(土)より新宿K’s cinemaほかにて公開)より、各界著名人からコメントが到着した。

マニラの貧困地区、路地の奥にひっそりと住む高齢の日本人男性たち。「困窮邦人」と呼ばれる彼らは、まわりの人の助けを借りながら、僅かな日銭を稼ぎ、細々と毎日を過ごしている。警察官、暴力団員、証券会社員、トラック運転手…かつては日本で職に就き、家族がいるのにも関わらず、何らかの理由で帰国しないまま、そこで人生の最後となるであろう日々を送っている。本作は、この地で寄る辺なく暮らす4人の老人男性の姿を、7年間の歳月をかけて追ったドキュメンタリーだ。

解禁されたコメントでは、女優の尾野真千子が、フィリピンに移住した男たちの生き様をみて「生々しく、私の心がいろんな方向に動いた作品!」とコメントを寄せた。また、移民文化や移民事情に詳しい望月優大は、「一人ひとりの表情が、その変化が、今も忘れられない。」とその感慨を語る。

ノンフィクション作家の石井光太は、日本の高齢者施設や病院で最後の日々を送る老後と比較して、フィリピンに生きている彼らが「どこか自由で、突き抜け、短くとも苦しみの少ない人生を遂げているように見える」と語り、同様に映画監督の矢崎仁司も、「今の日本で生きている私たちが、失いつつある何かをこの映画で感じる。」と日本とフィリピン社会の間に横たわる溝について、真摯な問いかけを寄せた。

文筆家・イラストレーターの金井真紀は、底辺で暮らす男性たちの姿を、どこか失礼と思いながらも凝視してしまう理由について「人生はいかがわしくて、立派さのかけらもない。だからこそ惹きつけられる。」と映画に寄せた思いを率直に語った。

フィリピンのスラムに住む男たちから見えてくる今の日本社会とこれから―。“生きる”とは何か、そして“幸せ”とは何かを突き付ける問題作『なれのはて』は、12月18日(土)より公開。

目次

コメント(順不同、敬称略)

フィリピンという土地に喜怒哀楽を求めて移住し、それぞれの幸せを求めたのだろう。
なれのはて、それぞれの最後や変化、とても生々しく、私の心がいろんな方向に動いた作品!
みごたえありました。
―尾野真千子(女優)

いつしかそうなっていた人生の中に、そうあるように選んだこと、工夫を凝らしたこと、毎日続けてきたことが、どうしようもないほど深く織り込まれていた。一人ひとりの表情が、その変化が、今も忘れられない。
―望月優大(ライター)

彼らはフィリピンのスラムに堕ちた負け組のはずなのに、日本の高齢者施設や病院で寂しく亡くなっていく勝ち組より、どこか自由で、突き抜け、短くとも苦しみの少ない人生を遂げているように見える、その理由を考えよ。
―石井光太(ノンフィクション作家)

「身捨つるほどの祖国」がない今の日本で生きている私たちが、失いつつある何かをこの映画で感じる。「私は何を残しただろう」と歌うのではなく、すべてを受け入れて生きていく人たち。街に子どもたちの笑顔があり、笑い声があり、子を叱る母の声があり、犬がいて、猫がいて、食べて、排泄して、そしていつも風が吹いていた。優しさは、何処から生まれるんだろう?
―矢崎仁司(映画監督)

底辺の暮らしを珍しがってジロジロ覗くのは下品だと思いながらも、スクリーンの隅々まで目を凝らしてしまう。なんだろう、この磁力は。おじさんたちの人生はいかがわしくて、立派さのかけらもない。だからこそ惹きつけられる。
―金井真紀(文筆家・イラストレーター)

私は最近、人間の果てについて、よく考える。
それは、ネットやAIに依存した人間が、将来どうなっていくかということなのだが、かなり絶望し、諦念すら感じている。
この映画に写し出されるのは、男たち、父たちのなれの「果て」だ。
その哀れな姿は、そこに行き着きたいとは決して思えないながらも、一方で、デジタル化した社会で、かすかすにされながら多幸感を植え付けられる未来の人間像に比べると、まだ少しの希望を感じたりもするのだ。
―七里圭(映画監督)

「豊かな青春、惨めな老後」かつてのバックパッカーには有名なこの言葉を思い出した。自分の”なれのはて”が惨めなのか、幸せなのか、これまでの選択と、これからのルートを今の日本社会を生きる身として特に思わずにはいられない。
―丸山ゴンザレス(ジャーナリスト)

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