結婚してシカゴに住むようになってからも、2年ぐらいはなんとなくフワフワしていて、ここで生活しているという実感がわかなかった。
・・・ときどき「なんで私はここにおるん?」という不思議感覚、なにかこう~、タイムスリップでもしたような~言葉ではうまく説明できんけど・・・この事をアメリカ在住の人に話すと「私も最初はそうだった」という人がけっこういたりする←きっと、飛行機から降りると、日本とは違う風景が広がる感覚がそうさせるのかも???
私の場合は特に、ほんまに突然の出会い、結婚やったから「これってほんま?」「うん、ほんまみたい」っていう自問自答の連続やった・・・
で?なんで、興味なかった国の人と結婚してるん?
と、いう事については、私にも未だに「謎」!こういうのを「縁」というんやろうと思う。
とにかく、結婚に至るまでの、いわゆる「なれそめ」をつぶやかせて~
私の「赤い糸」は途中でちぎれてるんかっ!?
39歳っていうのは、自分の「ひとりよがりな人生の予定」よりも、おっそろしく遅い結婚やったので、ほんまに「赤い糸」がちぎれてるかも?と心配していた・・・アメリカから手繰り寄せる途中で、かなり縺れてたんやろうなあ~実は何回かちぎれて、修復されたりしてたのかも?
女子はみんな、小学校から中学校へ進学するみたいに、年をとれば、自然に「夫」となる人に会えて結婚するのかと思っとった・・・・・・・・・・・が違った!
仲の良い友達とよく話してたのは、「私らが結婚できんのは、”労災”ちゃうん?(苦笑)」・・・確かに一時期、残業で忙しかった。 それに多分、時間に追われて仕事してる時の顔って、恐かったはずやな、これじゃ誰も声をかけようと思わんだろう←会社のせいにしている場合か?
普通に生きてきたのに、いつの間にか、「ちょっと変わった人」になったなあ?←自虐ネタで笑ってる場合か?
それでも捨て難かった「飯、風呂、寝る!」の気楽な生活・・・
いろいろ将来に不安はあるものの、実は気楽な生活を楽しんでいた私。
父を早くに亡くし、妹は20代でとっくに嫁いでいたので、母と2人の暮らし・・・会社から帰ると「今日はお風呂先に入る?ご飯にする?」と聞いてくれる母←このあたり、完全に、「おっさん」やったな(笑)家事は全部母まかせやったので、帰るとすぐに、ほんまに、ご飯食べてお風呂入って、寝ていた。
既に妹には2人の息子がいるので、母の「孫が見たい!」要求は満たされていたし、お互い、なんかとっても居心地がよかった・・・居心地がよすぎると出て行きにくいんよね~
神戸から離れたくなかった私・・・
生まれも育ちも神戸の私、すっごい神戸好き。絶対神戸を離れるものかと思っていた。
こんな海も山も街並みも素敵なところ、ないし・・・「井の中の蛙・・・」といわれようが、とにかく神戸好き。
ずっと”カルチャーばばあ”になりたかった
なんにも考えてなかったというか、「そのうち結婚するやろ~」という気持ちでおったし、しかも昼間にカルチャーセンターに通って、ときどき気が向いたらお小遣い稼ぎして、昼メロが見れて・・・というのを理想としていた←それならそうで、ある程度高収入な人の嫁になるべく努力が必要やったと思うのに、そういう努力にもあんまり興味をもてなかった私~現実が見えてなかったのさ!
え?私って、なんでいつまでも働いとん?
30歳になり、35過ぎると、おっそろしい速さで月日が経っていた。自分が20歳ぐらいの時に30歳を超えて海外旅行とかに行ってるお姉さま方を見て「この人達って、優雅そうやけど、結婚もせずに~そんなに好き勝手な事ばっかりやっとったら嫁に行かれんやろうなあ」とか平気で思ってたもんやけど、ふと気がつくと、それって私の状況やんかっ!!
”カルチャーばばあ”志望やったもんで、とくに自分のキャリアなんて考えてなかった。いくつかの転職の後、派遣社員からアメリカ企業の正社員になった。(←このあたりの転職話は、また機会があればつぶやかせて~)
確かにアメリカ企業は勉強になったし、やりがいもあったけど、そもそも目指して入社したわけではなかったので、「なんでいつまでも、ここにおるん?」という気がした。素晴らしい上司と同僚にも恵まれたけど、やはりいろんな意味で限界やった~(このあたりの苦楽物語も機会があったら、つぶやかせて~)
それなりのお給料をもらって、色々勉強もさせてもらったけど、情けない事に、特にキャリアと呼べるようなものではなかった・・・ああ、なんて中途半端な私。
経済的に安定した生活に未練を感じつつ、嫁に行かぬのなら(行けぬのなら)、そろそろ年齢を超えて出来る仕事をみつけなければっ!よしっ!とりあえず会社辞めて何かはじめようか?何か技術を身につける為に学校探そうか?福祉関係のお仕事してみたいかも?・・・という状況やった。
英語はねえ~
そのアメリカ系企業E社に入社する前、英語は別に苦手科目ではなかったし、旅行の為に会話を習ったりはしていたけど、所詮は趣味程度。
「こらアカン、あんまり英語使わんアメリカ企業やけど、とりあえずレベルアップせねばっ!」と思ったので、神戸市外国語大学の社会人学生になって、仕事が終わってから大学に通った(このあたりの卒業までの学生生活も、機会があったらつぶやかせて~)
でも、当然ながら(?)大学に通うだけで英会話が流暢になったら、誰も苦労はせぬ・・・ちょっと「こ慣れた英文Eメール」というのを書いてみたいではないかっ!・・・おお、それにはメル友や、メル友!
そう、私とパトちゃん(夫)とはその「メル友」がきっかけやった。
せこい私は、自分の情報をサイトに置くと、なんかややこしい事に巻き込まれそうでイヤやったので、安全そうな日本の観光案内っぽい某サイトのペンパル検索をしてみたのやった。
「年齢:40歳前後、目的:文化交流、場所:英語圏」・・・で、パトちゃんを見つけた!
すっごい長くなってしまったので、メル友をはじめてからの事はまた後日つぶやかせて~
今はとにかく、メル友の出会いって、けっこう危険な事も多いから「よい子は決してマネをしないで下さい!」といいたい~
私も、「こんな出会いで結婚することってあるんや!」って自分でもびっくりしたけど・・・