ブログの更新を休んでいる間、あたたかく見守って下さった皆様、ご心配のメッセージを下さった皆様、どうもありがとうございました。日本で、精神的、物理的に助けて下さった方々、本当に感謝です。お陰様で、諸々の手続きが落ち着き、気持にひとくぎりついたので、復帰させて頂きます。
【夏からの出来事】
再建手術を終えて1週間前倒しで帰省し、母が入院する病院へ直行。その7日母が他界、葬儀に続いて、1ヶ月半の限られた滞在期間の中、母が住んでいたマンションを空にし、ハウスクリーニングを終えて、バタバタとシカゴに戻った。
こっちに戻ってからも、なにせ日本はなんでも印鑑証明の世界、住民票のない私は、いちいち領事館へ行き、係員の目の前でサインと拇印を押して、それが本物であるという証明(在留証明)をもらわねばならなかったりと落ち着かない日々を過ごしていた。
体調の方は元気で、来週、転移がないか検診に行ってくる。きっと、母が私のすべてのガンを持って逝ってくれたはずやから、大丈夫。
母がこの世にもういないなんて、未だ信じられない。「心配しなさんな。ガンっていわれたけど、手術してなおるから」と、元気に電話で言っていたのが6月の事。その時、既に末期の子宮がんやった。2ヶ月ごとの血液検査を8年もしていたのに、全く予想外の事やった。
地元では大きな総合病院がかかりつけだったにも関わらず、日本の医療に疑問を持たずにはおれない。何度も足腰が痛いと言っていたのに「お年ですからね・・・」で片付けられていた母。結局その足腰の痛みは、ガン転移で、それを発見してくれたのは、小さな整形外科医やった。高齢だからと医者に強気で言われても、ぜひセカンドオピニオン、サードオピニオンをもらいに行く事を強くお奨めしたいと思う。
「悲しみを引きずるよりは前向きに生きよ」と言うタイプの母だったので、怒りや悲しみのエネルギーは自分の未来への努力に変換することにした。あまりに急ではあったけど、母の人生という意味では、病気がどうなるのかという恐怖の時間も少なく、寸前まで元気で、お友達と仲良く過ごせた有意義で幸せな人生やったと思うから。
母は本当に花が好きな人やった。あいている土地があれば、そこらじゅう耕して花を植えていて、ご近所にも喜ばれていた。写真は母が植えたヒマワリ。 私と妹にとっては、世界で一番の母、強くて優しくて明るい、ヒマワリのような母やった。
【坂村真民】
持ち帰った母の遺品の中に、愛読書だった坂村真民の詩集が何冊かあった。仏教詩人の詩は、良い事を書いてあるんやろうけど、なんか説教くさいようなイメージで真剣に読んでみたことがなかった。でも、この頃、母の言葉のように感じられる。
特に母が好きだった詩、トイレの壁に貼っていた(笑)この詩に、勇気づけられる。
「 鳥は飛ばねばならぬ」
鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ
怒涛の海を
飛びゆく鳥のように
人も混沌の世を
生きねばならぬ
鳥は本能的に
暗黒を突破すれば
光明の島に着くことを
知っている
そのように人も
一寸先は
闇ではなく
光であることを
知らねばならぬ
新しい年を迎えた日の朝
わたしに与えられた命題
鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ
坂村真民
ガラにもなく、母の坂村真民日めくりを毎日めくっている私(笑)でも、正直、感動したり、元気づけられたりする。今日の詩は「幸せの帽子」心にしみる。
「幸せの帽子」
すべての人が幸せを求めている
しかし幸せというのもは
そうやすやすと
やってくるものではない
時には不幸という
帽子をかぶって
やってくる
だからみんな逃げてしまうが
実はそれが幸せの
正体だったりするのだ
わたしも小さい時から
不幸の帽子を
いくつもかぶらせられたが
今から思えば
それがみんな
ありがたい
幸せの帽子であった
それゆえ神仏の
なさることを
決して怨んだりしてはならぬ