幼い頃から何をやってもダメだった少年が、ひとりの天才お笑い芸人に出会い、導かれ、失敗を繰り返しながらもやがて“本当の自分の道”を見つけ出すまで――。
天才お笑い芸人・明石家さんまが企画・プロデュースし、芸人であり画家であるジミー大西と自身との関係性を主軸に、夢を追う人々とそれを応援する人々の姿を描く連続ドラマを制作。Netflixオリジナルドラマ「Jimmy~アホみたいなホンマの話~」(全9話)として、7月20日より全世界190カ国独占配信スタートした。
ジミー大西役には中尾明慶、明石家さんま役を玉山鉄二が務め、喋り方から佇まいまでジミー、さんま本人とシンクロさせつつ、その心の内を豊かに彩り魅力的なキャラクターを作り上げている。そのほか芸人仲間やマネージャーなど、ふたりを取り巻く人々に尾上寛之、六角慎司、宇野祥平、濱田マリ、木南晴夏らも集結。さらに、佐藤浩市、生瀬勝久、温水洋一ほか豪華俳優陣も出演し、時にツッコミ役、時にスパイスとなってドラマを盛り立てていく。
監督には「101回目のプロポーズ」「昼顔~平日午後3 時の恋人たち~」など数多くのヒット・ドラマを世に送り出す光野道夫。絶妙のバランス感覚でユーモアとペーソスが折り重なる青春の日々を紡ぎあげた。そして主題歌は明石家さんまが愛してやまない甲斐バンドの名曲「最後の夜汽車」をMISIAがカバーし、作品を感動的に彩っている。
ジミー青年が本当に巻き起こした“ありえへん”エピソードの数々に笑いながらも、孤独や劣等感を抱えながら成長していく姿、支える人々の愛と友情に、涙してしまうこと請け合い。大いに笑ってホロリとさせる、第一級エンターテイメントが誕生した。
視聴した作品:
Netflixオリジナルドラマ「Jimmy~アホみたいなホンマの話~」第1話、第2話
今の若い世代、特に10代~20代の方は芸人時代のジミー大西をご存知だろうか?
ジミー大西は1980年代後半から1990年代にかけて、もっともTVで活躍をしていたと記憶している。当時、多くの人がジミー大西に対して様々な感想を抱いていたかと思う。ここで詳しく書くまでもなく、数々の信じられない伝説も作ってきた男だ。
そして、なぜかわたしは、数々の伝説の中でも、某TV局が企画した、警察犬とジミーに競わせて“女子アナが履いたスリッパを探し出す”という奇抜な企画の結果がとりわけ印象に残っている。なんとジミーは警察犬に勝利したというのだ。
噂ではあったけれど、わたしをはじめ、多くの人々がその嘘のような話を疑うことなく受け入れたことも、当時のジミーの印象を物語るに相応しいかもしれない。今思えば、少々過激な企画であったように思うが、それほど彼は何か常識を覆すことがデキル存在、どう扱えばいいのか誰もわからない独特の雰囲気を全身から醸し出していた。
だからこそ余計に、明石家さんまは一体、この特殊な男をどのようにして、TVで活躍するまでの芸人として育てたのだろうか?と兼ねてより興味深く思っていた。
それほど、ジミー大西という存在は、芸人でありながら、芸人の域を超えた、見てはいけないモノを見てしまったかのような思いを抱かせる異質な存在だった。
天然なのか、果たして作られた演出なのか判断がつかない彼への違和感、得体の知れなさをわたしは長年抱えていたのだが、後にある番組の企画でジミーが描いたという絵画を見て、ようやくその違和感に終止符を打てたのである。
失礼な物言いとなるが、当時は芸人の中でも極めて粗野、動物的で、感受性や繊細さの欠片もないような、本能のまま生きているような男に、まさかあれほどの絵を描き出す力があったことを誰が想像できただろうか?
初めて見た彼の絵は、まさに衝撃だった。
生命が宿るかのような湧きあがる力強さ、鮮やかな原色、独創性溢れるダイナミックな構図、素人目から見ても、明らかにその絵は落書きや単なる「絵の上手い人」の枠を超えていた。
彼の得体の知れない、凶器的なエネルギーの行き着く先はここだったのかと、絵の中に彼の答えを見つけた瞬間だった。
だからこそ、ジミーの潜在能力を当初より見抜いていた明石屋さんまの凄さに、わたしは驚異を覚えた。同時に、さんまとの出逢いによって動き出した、ジミーの煌めく見えない糸の行きつく先が、ここに結ばれていたのかと、何ともドラマティックな展開と2人の関係性に甚く感動したのだ。
そして遂に、そのドラマティックな嘘のような2人の伝説が、ドラマ化されたのだ!
見ないわけにはいかないだろう。さんまとジミーのエピソードは、メディアでもこれまで多く語られてきたが、実際にこのドラマを見るまでは何処までが本当なのか信憑性に欠けるものがあったのだが、、、第一話、第二話を見終えて思うことは、明石家さんまとジミーが本物の天才であったということに尽きる。
2人は、通常人のものさしを持ち合せていない。
それが天才と呼ばれる所以であるところを、このドラマは見事に描いていた。
出演者たちも味わい深い。
第一話は、勉強は全く出来ないけれど、野球だけは得意なジミーが入学した強豪校での試合シーンから物語が始まる。のっけから笑ってしまう場面が満載だ。試合中にサインを覚えられないジミーに、野球部顧問の先生役の生瀬勝久が関西弁のいいエッジをきかせて怒りまくる。
こうしてドラマは、ジミーが吉本興業に入社するまでのくだりから、さんまに出会ってからの数々の失態をテンポよくコミカルに描き進む。その演出はしごく丁寧且つ緻密だ。余計な演出が一切ない。細部までのこだわりが始まりから終わりまでこと切れることはない。これは、演者も大変な緊張を強いられただろう。
余計なお世話だが、個人的に心配していたさんま演じる玉山の関西弁だが、さんまの特徴ある身振り手振り、歩き方、話し方や鋭い目つきまで巧みな演技力で見事にカバーしていた。
そしてジミー演じる中尾は、ジミーが乗り移ったとしか思えないくらい、ジミーになりきっていた。ジミーの独特の動きと笑い方、あの堰を切るような話し方まで感心するほど似ている。
まるでジミーが中尾の皮を被って演じているようだった。
それにしても劇中、中尾は何度下半身を剥き出ししただろうか。
見事な脱ぎっぷりだった。撮影終了後、癖にならないか心配になるくらいの脱ぎっぷりだ。人前でおしりを曝け出すなど、今であれば直ぐにお縄だろうが、その辺りも時代を窺わせる昔の良き時代の名残をサラリと演出していた。
事実に基づくストーリーなのだから、とにかく話が面白い。途中何度も笑い声を立てて観てしまった。そしてジミーは、本当に語り継がれる伝説の持主だった。その笑える伝説を観るだけでも価値はある、落ち込んでいる時には元気付けられるだろう。
さんまのTVではあまり見せない熱い気質と際立つ孤高さも新鮮だった。
台詞がいちいちカッコイイ。台詞に嘘がない。
特に、第一話のラストは圧巻だった。TV放送での生番組舞台で、放送禁止用語を発言してしまったジミー。TVは放送中止、先輩芸人には殴られ、吉本役員陣は激怒、行き場を失い絶望の真っ只中で沈みこむジミーに、さんまが静かに語る。
その言葉は、ドラマの全ての中心に坐する重みがあった。
叱るのではなく、同情も慰めもしない。ただ、目の前のその人の全てを受け入れる。ジミー自らが気付くことが出来なった、けれども生きてきた中で一番欲しかった言葉がさんまの口から語られた時、ジミーは感動で激しく咽び泣く。「嬉しくて、嬉しすぎて」とオウオウ泣くのだ。
2人の演技にググッと惹きこまれた一番の見せ場だった。さんま演じる玉山の熱量と、ジミー演じる中尾の涙の歓喜に包まれて、わたしも一緒に泣いてしまったくらいだ。
社会に受け入れられない、異質な存在をまるごと受け入れる。
常人には簡単に出来ることではないだろう。さんまの台詞に感動して、心底に胸が熱くなった。多少の脚色はあるのかもしれないが、ジミーの命を繋いだのも、ジミーの今後の人生を作ったのも、さんまであることは確かだ。
そして、このドラマは始まりと終わりが一番ずるいのだ。
なにせ、当の本人達が登場するのだから。さんまとジミーがドラマに関して感想を言い合う。本人達の口から「あの話、全部ほんまやんな」という言葉を聞けるのは、このドラマの最大の醍醐味に思う。数分間の遣り取りだけなのだが、これが本当に面白い会話なのだ。
最初と最後だけでも観る価値があると言ったら叱られそうだが、二人のトークには一気に惹きこまれる。そして、もっとドラマを観たくなる。
これこそが、さんまとジミーの天賦の才なのだろう。観れずにおれないし、知られずにおれない。こんな思いを抱かせる芸人は、芸人冥利につきるだろう。
お笑いを普段あまり観ないわたしにすら、そのような思いを抱かせるのだから。
エンディング曲が流れる場面もまたいい。
吉本を支えた芸人たちの若きの日の姿を捉えた写真がスライドショーで画面を流れる。今も第一線で活躍する人から、今はもうTVで姿を観ることはない人たち。懐かしくて切ない風景は、彼等への愛情と敬意を伴いMISIAの歌声に乗せて哀愁を誘う。
第二話は、ますます盛り上がりを見せるが、このドラマはジミーの伝説的エピソードを面白おかしく描いているだけではない。さんまもジミーも、そして登場する全ての人々の生き方や言葉に、様々な生きるヒントが隠されている。
お笑いの世界を目指す人はまず観るべきドラマだろう。そして、もしも人生に迷い、進むべき道が分らなくなっている方がいるならば、ぜひ観て頂きたい作品だ。
ただ生きる、ありのままの自分を受け入れる。
それだけが、本当に自分に出逢える道に繋がることを、押し付けることなく、ドラマはシンプルに伝えてくれている。
生きることは辛いことだらけだ。幸せなことの方が人生を通して少ないかもしれない。
競争社会において、とかく人と比べられること、比べることはしんどい作業だ。なおさら、才能が全ての芸人世界で生きることは、想像し難いほどの苦労と挫折を伴うだろう。成功するのは一部の人間だけだ。才能と努力、そして運。
だが、自分を見捨てず、諦めずにいれば、それが自分が望んだものでなかったとしても、結果として自分にとって一番大切なモノ与えられるのだということを、このドラマは教えてくれる気がしている。
今更ながらだが、さんまは、とてつもなくロマンチスな人なのだと思った。
人を通して、その人に夢をみせる、そして、さんまも夢をみるのだ。
生き残りの世界で、その人の成功を夢見れる、稀有な存在だ。
人は所詮生きるも死ぬも、一人一人の人生を生きていかねばならない。
一人でいる強さも、そして孤独も、すべて知っているものは何者も恐れない。
人は、それぞれがオリジナルにしか生きることが出来ないことを知っている人間は、寄り添えることができる。相手を変えようしない。ただ、受け入れ、導く。
さんまの、この哲学はどこから生まれたのか。
このドラマで、伝えたいことは何か、などと考える。
さんまのことだから、何かに繋がる導線であることは間違いない。
ドラマを観て、おそらく多くの方が思うだろう。次回はぜひ、「さんま~さんましか知らないホンマの話~」のようなドラマが見たいものである。
稀代のエンターテイナー明石家さんまが人生初、連続ドラマをプロデュース!
ストーリー
1980年代の大阪。突拍子もない言動を繰り返し、幼い頃から失敗ばかりの大西秀明(中尾明慶)は高校卒業後どこにも就職できず、吉本興業の舞台進行の見習いとして「なんば花月」に出入りしていた。
ある日、大失敗した大西は反省を示すべく自ら裸になって階段にチンチンを紐で括りつけ、大騒ぎに。そこにやって来たのが人気絶頂の芸人・明石家さんま(玉山鉄二)。ふたりはこうして衝撃の出会いを果たすのだった。
さんまは大西を面白がり、身の回りの世話を許すことに。以降大西は、さんまやその芸人仲間の村上ショージ(尾上寛之)、Mr.オクレ(六角慎司)、なんば花月の世話係であるおちゃこのおばちゃん(濱田マリ)らと共に笑い溢れる日々を過ごすようになる。
そんなある日、新喜劇の舞台に立つことになった大西は舞台上で大失敗してしまう。クビになりかけた大西を、さんまは自らの進退をかけて救う。そして、ひどいイジメを受けてきたと吐露する大西に“ミジメな過去は笑い飛ばせ”と伝え、この強烈なキャラクターを持った青年を人気芸人に育て上げようとさんまは決意。
大西はその後、さんまによって「ジミー大西」と名付けられ、師に導かれるまま、高宮京子(木南晴夏)という専任マネージャーも付くほどの売れっ子芸人になっていく。
数年後、“お笑い”という自分の居場所を見つけた大西だったが、それはさんまから与えられたものでしかないということにも気づき始めていた。芸人としての力のなさに悩み、引退も考える最中、テレビ番組の企画で絵を描くことになり、大西の思わぬ絵の才能が知れ渡り…。
作品タイトル:Netflixオリジナルドラマ「Jimmy~アホみたいなホンマの話~」
企画・プロデュース 明石家さんま
中尾明慶 玉山鉄二
尾上寛之 六角慎司 宇野祥平 中村靖日 八十田勇一
・木南晴夏・中村育二・濱田マリ
生瀬勝久 手塚理美 温水洋一 池脇千鶴 / 佐藤浩市 /
山崎銀之丞 徳永えり 楊原京子 金井勇太
ジミー大西 明石家さんま
監督:光野道夫
脚本・脚本監修:大岩賞介
脚本:山浦雅大 麻倉圭司
主題歌:MISIA「最後の夜汽車」
作詞・作曲:甲斐よしひろ
制作プロダクション:共同テレビジョン
制作:吉本興業
製作:YDクリエイション In Association With Netflix
Netflix Japan公式サイト:https://www.netflix.com/
コピーライト:(c)2018YDクリエイション
7月20日(金)よりNetflixにて全世界190カ国独占配信