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『CLOSE/クロース』色鮮やかな花畑を駆けるレオとレミ…【二人が紡ぐ永遠】を捉えた冒頭シーン&絶賛コメント解禁

CLOSE/クロース

第75回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞し、第95回アカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされるなど各国の映画賞で47受賞104ノミネートを果たした話題作『CLOSE/クロース』(7月14日(金)公開)の冒頭シーンと、各界著名人からのコメントが解禁された。

監督を務めるのは、前作『Girl/ガール』で第71回カンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)を受賞し、鮮烈なデビューを飾ったルーカス・ドン。主人公・レオと幼馴染のレミを演じるのは、本作で俳優デビューとなるエデン・ダンブリングスタフ・ドゥ・ワエル

花き農家の息子で活発なレオと、少し引っ込み思案だが音楽の才能豊かな幼馴染のレミ。性格は違えど、24時間365日ともに過ごしてきた2人は兄弟のような関係だ。13歳になり中学校に入学する2人。しかし親密過ぎる関係をクラスメイトに指摘され、周囲を気にしたレオはレミと距離を置くようになっていくが…。

今回解禁となった映像は、そんな二人が仲違いをする前、お互いを唯一無二の存在と認め、二人だけの世界にいた頃のこと。画面いっぱいに広がる、鮮やかなピンク、白、黄色、赤のダリアの花畑に目を奪われるこのシーンは、映画冒頭に登場し、撮影はルーカス・ドン監督の出身地ベルギーにあるウェッテレンと画家ゴッホの生誕の地で有名なオランダのズンデルトで行われ、監督自身が生まれ育った村にあった花畑がアイデアのもとになっている。

心地よい春の日差しのもと、互いを気にかけながら眩い笑顔を振りまき駆ける二人の姿からは生命力や希望が感じられ、彼らが周囲を明るく照らしてくれる存在なのだと認識できる。

しかし、この美しい時間は長くは続かない。夏、秋、冬と季節が巡るように、二人の環境も変化し、映画冒頭に色鮮やかだった風景も次第に暗くなっていく。美的手段として【色彩】を取り入れたかったと監督が語るほど、本作では【色】にこだわりを見せており、映画前半と後半での色彩のコントラストは見どころの一つだ。

さらに監督「子供の悲しみの過程を伝えるために、季節の色彩のコントラストを強調したかったのです。暗かった冬が過ぎると、花が再び植えられ、色が戻り、希望と生命が続いていくことを告げてくれます」と話し、映画に季節を取り入れることで、言葉ではうまく伝えることのできない幼いレオとレミの心の機微を描いている。

CLOSE/クロース

監督自身が学校という社会の縮図に直面した10代前半に抱いた葛藤や不安な想いを綴る思春期への旅の始まりを描き、観る者に【過去の記憶】と【悲しい痛み】を思い出させる映画『CLOSE/クロース』は7月14日(金)より全国公開。

なお今回、本作をひと足先に鑑賞した映画監督の大友啓史、映画パーソナリティの伊藤さとり、映画ライターのよしひろまさみちらから寄せられたコメントは以下の通り。

目次

著名人コメント一覧(敬称略)

誰にでもある、きっと忘れているだけだ。
少年は皆、レオとレミのような瞳をしていたはずだ。
大切なものが奪われていく。
それは体の一部を?がされるような痛みに近い。
少年の日の喪失―その痛切を描いた、永遠の記憶に残る一篇。
大友啓史(映画監督)

是枝裕和監督の『怪物』でも描かれた少年時代の友愛とセクシュアリティのゆらぎ。そこから一歩踏み込んで、子どもの感情をあからさまに爆発させた。ステップ・バイ・ステップが通用しない少年時代の、美しくも残酷な1ページ。
よしひろまさみち(映画ライター)

どんな人にも、未熟で、繊細で、脆い時期がある。
きっとルーカス・ドン監督は、当時の瑞々しさを失わないまま映画を撮っているのだろう。まだ友愛と恋愛を区別できなかった頃、身近な人を大切にできなかった頃、自分の痛みに向き合えなかった頃。この作品には、「あの時期」に見えていた世界の色がそのまま映っている。
稲垣貴俊(ライター/編集者)

「後悔先に立たず」と、母から静かに叱責されたことがある。
子どもの頃は言葉の真意をあまり理解していなかったが、人生を経て振り返ると胸中の琴線に触れるものだ。
誰もが経験したであろう斯様な<後悔>を、この映画は科白を介さず私たちに理解させる。
それは、眼前の衝動に己を委ねてしまうと取り返しのつかない結果を招くことを、
いつしか心得るようになるからだ。
松崎健夫(映画評論家)

なぜ、このような悲劇が起きてしまうのかを考えるとき、
それは大人が作った世界の価値観によるものなのだと、
またしても思い知らされる。
子供たちが安心して、自分らしく生きることができる世界を守るために、
大人は何をすべきなのか。
美しく詩的な映像世界が伝えるメッセージは重い。
今 祥枝(ライター・編集者)

生きていれば意図せず誰かを傷つけ、ときに悲劇に直面することもある。
後悔は役に立たず、ただ明日はやってくる。
痛みを抱えながらどう前へ進めるのか。
この映画は、その暗闇の中で一筋の光となってその道を照らす。
言葉による分断が深まる今日こそ、観るべき美しき作品。
立田敦子(映画ジャーナリスト)

わからなさに耐えられない世界は、適切な「距離」を求めてくる。
あいまいさに耐えられない誰かは、仮初の「名前」を押し当ててくる。
どうしてぼくたちは、ただただ一緒にいるだけではいられないのだろう。
ふたりきりの秘密の花園を、ずっと君と駆けていたかった。
児玉美月(映画文筆家)

子供や大人という概念を飛び越えて、
魂そのものを画面に刻みつけている。
花も風も、雨も陽光も、人の心も。その場で呼吸していて。
故に生じる、あまりにも無垢な痛み。これは到底作れない。
SYO(物書き)

これは21世紀の『スタンド・バイ・ミー』であり、少年同士の『ノルウェイの森』。思春期とジェンダーに関する実に現在的かつ普遍的なテーマを、ルーカス・ドンは芳醇な映像美とリリカルな音楽のアンサンブルで見事に昇華した。
菅付雅信(編集者)

これがデビュー作とは思えない!レオとレミを演じた若き俳優から一瞬たりとも目を逸らすことができなかった。
彼らのなかで大きく小さく波打つ感情が、まるで自分ごとのように伝わってくる。
大人になるほど薄れていくその感情をこの映画は、いとも簡単に思い出させ、そこに留まらせる。
新谷里映(映画ライター)

ホモフォビアのないエデンの園で一緒に遊び、
自転車で駆け、並んで眠る、
まだ社会が要請する男らしさの鎧をまとっていない
プリミティブな少年同士の
貴重な親密さに幼少の記憶が呼び起こされる。
同じベルギー映画『プレイグラウンド』に続き、
ダルデンヌ兄弟のようなまなざしで校庭で巻き起こる
少年間のいじめを映す痛切な傑作は、
男性性の神話に苦しむ者たちへの(クィアな)エレジーである。
常川拓也(映画批評家)

世界が広がり始める思春期にティーンの心を狭めてしまうジェンダー規範。
ルーカス・ドン監督が行間に込めた“男らしさ”の呪縛が切なすぎる。
山縣みどり(映画ライター)

子供時代、何をするのも一緒だった。
でも大人になった今、もう会うことはない。
記憶の底に眠る大切な友人と、この映画を観て再会できたような錯覚をおぼえた。
あの時、こうしていたら……。深い悔恨や試練を受け止めてこそ未来を生きられるのだと、主人公をまばゆく照らす希望の光が指し示す。
斉藤博昭(映画ライター)

早くも本年度No.1になってしまった大傑作。
一緒に居て楽しい気持ちに説明なんて要らなかった幼き頃。
真っ直ぐ見つめられる瞳も心地良かった親友との日々。
子供とのスキンシップも愛情からで
それが子供同士でも当たり前のはずなのに
人からの視線で世界が変わってしまう現実に涙が溢れて止まらなかった。
伊藤さとり(映画パーソナリティ)

「あなたたちの関係は?」「付き合っているの?」聞くことに深い意味はないと言いながら、人は、社会はなぜ、誰かと誰かの関係にラベルを貼りたがるのだろう。2人のものだった親密さに他者のまなざしが刺さる。分岐していく少年たちの横顔に胸を潰しながら、いくつかの切実な問題提起に強く共感した。
奥浜レイラ(映画・音楽パーソナリティ)

純粋であるが故に、脆さや危うさが伴う子ども時代。「学校」という名の社会へ身を置けば、次第にありのままの自分ではいられなくなっていく。それが大人になるということなのかもしれないが、その変化に戸惑い苦悩した在りし日々の感覚が、壊れゆく少年たちの関係性を通して呼び起こされた。喪失の果てに築かれていく自己もまたかけがえのないものであるが、何も手放さずに済んだのなら、どんな未来を歩めていたのだろう。
ミヤザキタケル(映画アドバイザー)

「友情」や「愛」という言葉では分類できない、純粋な絆で結ばれたレオとレミ。2人だけの楽園から一歩踏み出した時に悲劇が起こる。ベルギーの新鋭、ルーカス・ドン監督が2人の役者に寄り添い、彼らの視線、仕草で繊細に綴った喪失の物語。スクリーンのなかを何度も駆け抜けていく少年たちの姿が眩しい。
村尾泰郎(映画/音楽ライター)

子どもの純粋さと残酷さが生んだ、取り返しのつかないできごとを見つめる本作の苦悩は、言葉による安易な心情描写を拒絶する。
その厳格な誠実さで、赦すことは赦されることだと示すルーカス・ドンの演出は、色彩を失い、取り戻す画面で表現される。
中井 圭(映画解説者)

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