【レポート】『生きろ 島田叡―戦中最後の沖縄県知事』共にアナウンサー出身!佐古忠彦監督×語り・山根基世が真剣トーク

生きろ 島田叡―戦中最後の沖縄県知事

『生きろ 島田叡(あきら)―戦中最後の沖縄県知事』が全国公開中の佐古忠彦監督と、「映像の世紀」シリーズや「日曜劇場 半沢直樹」などのナレーションで知られる山根基世さんによるトークイベントが、4月18日(日)、東京・ユーロスペースで行われた。

佐古監督は前作『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』2部作に続き、本作でも山根さんを【語り】に起用。ともにアナウンサー出身の二人は、佐古作品の【語り】を務める時の心境、そして、山根さんに【語り】をお願いする理由などとともに、沖縄戦から現在に続くさまざま問題について、和やかな中にも真剣なトークを繰り広げた。


山根さん:自分で語っている映画を観る時、ちゃんと伝わるように読んでいるかしらと緊張して肩がこるんです。でもこの作品を読んで、いい仕事をさせていただいたと思い、佐古さんに感謝しています。島田叡の想い、映画に出てきた大勢の人たちの想い、佐古監督の想いを代弁すること、その役割がちゃんと果たせるだろうか、とマウンドに立つピッチャーの心境になるんですね。

ナレーションで一番大切なことは、想いを感じる心なんです。佐古さんが何を伝えようとしているのか、それを感じながら読まないと。佐古さんはいつも想いが溢れていて、志しの塊みたいな人だから、コメントも馬に喰わせるほどあるの(笑)。でもそれだけ想いがあるものというのは、読み手としてすごくやりがいを駆り立てられるんですね。

沖縄のニュース、辺野古の問題についても、オスプレイが落ちた時も、(米兵)が交通事故を起こした時も犯人は決して起訴されなかったり、ニュースを見るたびに体が震えるような怒りが湧いてくるんだけど、じゃあ自分自身は何の行動を起こせていますかって考えた時、後ろめたかったり、申し訳なかったり自責の念に駆られるんだけど、せめてこういう映画を観る、あるいは私がナレーションをさせてもらうことでちょっとだけ贖罪の気持ちにもなれるし、これから自分自身の問題として考えていきたいと思います。

この映画は決して70数年前の一人の素晴らしい男の生き方を紹介しているだけの映画じゃないんですよね。あの時、沖縄で起きたさまざまな理不尽というのは、今も沖縄で起こっていることと全く同じか、それ以上になっているのを感じるんです。この映画をご覧になったことを機会に、今の沖縄に目を向け、そのことは自分自身と繋がっている、自分の問題でもあるということを考えていくきっかけにしてもらえたらいいな、私自身もそうしたいと思っています。

佐古監督:山根さんとは長いお付き合いで、私もアナウンサーという仕事をしておりましたので、どういう方に語りをやっていただこうかと考えるんです。今回3作目ですが、すべて山根さんにお願いしました。やっぱり山根さんの世界観で物語を引っ張って欲しいということが私の中にあるんです。

山根さんはご自身をピッチャーと例えられましたが、作品の意味や、監督の想いを受け止めて代弁するキャッチャーでもあるんです。そういう意味でいうと、私はいろんなものを背負わせてアナウンス・ブースに山根さんを入れちゃっているんだなと思います。

今、遺骨が含まれている土砂が辺野古の埋め立てに使われるかもしれないというニュースがあるわけですけど、そのことは、この映画で描かれたことの延長線上にあるんですよね。(沖縄の地には)当時命を奪われた県民や日本兵たちの遺骨が散乱していたというんです。その遺骨を収用することから沖縄の戦後は始まったわけですよね。それが今も残っているのが沖縄の土地であり、76年前から今に至るまで、この世界は何も変わっていないという気がしてなりません。

(映画の中で)さまざまなエピソードをご覧いただきましたけれども、この時、自分だったらどうするだろうか、ということを問われるような局面がたくさんあったんではないかと思います。それはリーダーとして、また一人の人間としての判断、決断がいかにあるべきか、そんなことも考えながら、この3か月に及ぶ沖縄戦を、現代に引き戻しながら考えられる、そんなテーマがこの作品の中にたくさんあるような気がしてなりません。


短い時間にも関わらず、充実したトークに、イベント終了後、佐古監督と山根さんには観客からは大きな拍手が送られた。

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